2013年12月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

カテゴリー「雑感」の投稿

2007年12月31日 (月)

システムとしてのゆとり

ワシントンから東京にもどって10カ月がたった。ようやく社会復帰のための「リハビリ」が終わったような気もするが、一生もとの日本人には戻れない気もしている。25年間のアメリカ滞在はやはり大きく、今後ずっと自身の中にアメリカ人と日本人が共生するような思いが強い。

それは「絶え間のない比較」ということでもある。単語や表現の比較だけでなく、町を歩く人の顔つきやファッション、溢れかえる品物や住居の様子、政治家の言動から人の考え方など、比較対象は社会全般にわたる。生活の中に「日米比較表」ができあがってしまったかのようですらある。

その中の一つに休暇がある。

日本人があまり休暇をとらないのはよく知られる。実際はアメリカよりも国民の祝日が多いし、ゴールデンウィークやお盆休み、年末年始の休みがあるので、勤めに出ない日はそれほど違わないし、有給休暇を入れるとむしろ日本の方が休みが多いかもしれない。過去10年ほどは、アメリカでも「働きすぎ」が問題になってきている。

まして最近は、日本の大企業の中には残業をさせない風潮があり、無理やり帰社せざるを得ない会社もある。企業情報の秘匿から自宅で仕事をすることもゆるされない。「仕事が終わらない」という苦情を耳にする。

だが、それで彼らに余裕ができただろうか。感覚的なものとして、日本の勤め人からゆとりを感じることはあまりない。せわしない空気が東京をおおいつくし、暗い穴に逃げ込んでものがれられないかのようである。

年末年始に国外にでる人は多いが、あまり声を大にして海外で遊んでくるとはいわない。休みに対する罪悪感でもあるかのようだ。これは自分だけが楽しい思いをして遊んでいては申し訳ないという気持ちが少しあるからだ。

アメリカでは会社員だろうが団体職員だろうが仕事に調整をつけて、11月の終わりや1月下旬に2週間、つまり時期にまったく関係なく有給休暇を普通にとる。皆が休む時期にわざわざ一緒に休む必要はないからだ。周りも当然だと思っているから支障はない。

日本の組織でも、上の者が率先して休みをとればいいが、なかなかそうはいなかいのが実情だろう。文化の違いと一言で片づけてもいいが、「これでいいんですか」といって歩きたいくらいだ。「ここは日本なんだから、これでいいんだよ」と言われたら私は引っ込むしかないが、普通の時期に普通の有給がとれる体制がとれればと思う。

私はフリーの立場なので休みは勝手にとらせて頂いているが、日本の社会全体がもっと余裕とゆとりのある空気に満たされることを年末に願う。それは決してカネだけの問題ではない。システムとしてのゆとりなのだろうと思っている。

2007年12月16日 (日)

消える新聞

新聞がますます読まれなくなっている。インターネットでニュースを読む人が増えて、新聞読者は減る一方だ。

もちろん、それは日本だけのことではない。ニューヨーク・タイムズもワシントン・ポストも部数を減らしている。昨日、USAトゥデイのスポーツ記者をしている友人と電話で話をする機会があった。同紙は最近、10%の人員削減を行ったという。

USAトゥデイは部数を伸ばしていたが、収益が落ちていた。彼は幸いにもレイオフの対象にはならなかったが、今後はどうなるかわからないと言った。新聞業界は今後も下を向いたままのようである。

話が英語にそれるが、日本ではいつの間にかクビとかレイオフいう言葉が「リストラ」という優しい言葉に言い換えられた。だが、「リストラ」はクビという意味ではない。企業の再編成という意味で、冷たい言葉をやめて「リストラ」に置き換えたところが実に日本的である。

話を戻そう。新聞業界が下火であることは誰しもが気づいている。今後、新聞がなくなるかもしれないという漠然とした思いもある。新聞を読むという作業よりもインターネットでニュースを読む方が一般的になっているので、当然である。

特に若い世代は間違いなくネットニュースが主流だ。先日、ある忘年会で斜め前に座った25歳の青年は、「週末にしか新聞は読まない」といった。普段はネットニュースでこと足りているという。時代の流れは誰にも止められない。

実は昨年、ワシントンにある国防大学がアメリカのメディアの将来についての報告書を出した。そこには2040年までに新聞は消える、正確には「新聞紙のリサイクルは2040年までに消える」というオシャレな表現が使われていた。

紙は終わるが、新聞社は生き残るかもしれないという意味である。別に驚くべきことではない。世の流れの速さを考えれば、新聞の終焉はもっと早くてもおかしくない。ただ、誰かがニュースを伝えなくてはいけないので、ネットでのニュース配信がなくなることはない。

課題はニュースを伝える側がどうやって収益をあげるかである。いま新しいビジネスモデルが模索されているが、年率20%もの利益をだす金融商品のように収益をあげられないところが業界の辛さである。

新聞が歴史の遺物になるのは以外にも早いかもしれない。