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カテゴリー「アメリカ社会」の投稿

2007年12月20日 (木)

ワッパーの威力

「ヤラレター」というのが正直な感想だった。

アメリカのテレビ・コマーシャルを観ていて、すぐにその商品が食べたくなった。こうした思いを抱くのは実に久しぶりである。

バーガーキングというハンバーガーのチェーン店がある。アメリカのフロリダ州マイアミに本社があり、世界65カ国で1万1000店舗をもつ。そこの売りが「ワッパー」である。日本には1993年にお目見えしている。

アメリカで最初にバーガーキングの店舗に入ったとき、なんと発音するのかわからなかった。「Whopper」とつづられている。最初、「フーパー」と言った。するとカウンターの向こう側にいた黒人の女性店員が小さく笑った。次に「ホーパー」と言ったら、彼女の笑いは大きくなった。

私は矢継ぎ早に「フッパー?ホッパー?」といったら、彼女はマネジャーを連れてきた。皆で涙を流さんばかりに笑っている。失礼な話だが、どういうわけか私も一緒に笑った。大笑いが一段落すると、彼女はやさしく「ワッパー」と告げた。そうだったのか、、、、。

出てきたサイズはそれまでのハンバーガーの3倍はあろうかと思えるほどだった。アメリカらしさを感じた瞬間だった。

そのバーガーキングがドッキリカメラのコマーシャルを制作した。現在、アメリカのテレビで放映されている。本物の客を相手に、店員たちは「もうワッパーは売らないんです。永遠にメニューから消えました」とやる。

Tシャツを着た長髪の青年は「ウソだろ」。「本当です」と店員が言うと、「ワッパーがあるからバーガーキングなんだろう。ないんだったらバーガークイーンにしちまえよ」とすごむ。ドライブスルーに現れた女性客は「店長を呼びなさいよ」と怒っている。中年男性は「そんなこといつ決めたんだよ。俺はマクドナルドは嫌いなんだよ」とまくし立てている。

見事である。コマーシャルとしては久しぶりに会心作を観た思いだ。面白いコマーシャルはたくさんある。笑ってしまうものも多い。けれども多くは商品と直接むすびついていない。コマーシャルに登場するキャラクターやストーリーは覚えているが、商品名や企業名がなかなか出てこないCFが数多い。

けれどもワッパーのドッキリコマーシャルを観て、すぐに頬ばりたくなった。実に久しぶりのことである。「ヤラレター」という思いは、企業側の成功の証しである。

2007年11月19日 (月)

リスのシチュー

アメリカは銃社会といわれる。

国内に出回っている銃砲の正確な数は誰もつかめていない。2億5000万丁とも3億丁ともいわれる。アメリカの人口は昨年10月に3億の大台に乗ったので、一人につき一丁というのがおおよその目安である。

銃が使われた事件もずいぶん取材しているので、よほどのことがないと驚かないが、先週、思わず「エーッ」と唸ってしまったことが二つあった。両方ともアメリカのできごとである。

一つはフォックスTVを観ていて驚いたニュースだ。テキサス州に住む男性が警察に電話をしてきた。会話はすべて録音されている。それがすぐにTV局に持ち込まれるところもアメリカらしいが、その録音テープの内容にびっくりさせられた。

電話をした男性の隣家に、二人の男が窓ガラスを割って侵入した。それを見た男性はすぐに警察に電話。警察官と会話をしながらこう言うのである。

「銃をもってくる。奴らを止めなくては」

午後2時。電話口の警察官が落ち着いた口調で諭す。

「家の中にいてください。警察官がいまそちらに向かっていますから」

「出てきた出てきた。撃つよ、撃つよ。このまま見過ごすわけにはいかない」

「いや家の中にいてください」

男性は電話を持ったまた外にでた。「オダブツダナ」と言ったあと、ガンショット3発。数分後に駆けつけた警察官が死亡した二人を確認した。

検察側はテキサス州法の自衛権を逸脱する行為だと主張。弁護側は自衛権の行使であると真っ向から対立している。男性が起訴されるかどうかは大陪審の判断にゆだねられている。

やってくれるものである。92年にルイジアナ州で起きた服部君事件を思い出した。犯人のピアースは正当防衛が認められて無罪になったが、私はいまでも過剰防衛だと思っている。銃社会の弊害以外のなにものでもない事件である。

そうしていたら、ワシントンの友人が電話でスゴイ話をしてくれた。彼は長い間、ワシントン郊外に一軒屋を借りて住んでいた。同時に、ウェストバージニア州に3000坪の土地と別荘を所有している。ウィークデーは借家に住み、週末は別荘で過ごすライフスタイルだ。だが、最近になって借家を引き払って別荘に住み始めた。

電話の向こうから、「ライフル銃を購入した」というセリフを聞いた。長いつきあいなので、銃所有にずっと反対していることは知っていた。だが今では銃の所有者になったという。

「隣人がハンターで、一緒にスーパーに行ったときに勧められたんだ。護身用というよりハンティング目的だよ」

「いつからハンティングをするようになったの?」

「いや、まだ撃っていない」

何を狙うのか聞いたら、リスだという。リスを撃つ話はよく聞いていたので驚かなかったが、次の彼の言葉で息をのんだ。

「僕もびっくりしたよ。先日、隣人がパーティーに招いてくれたんだ。『自宅の裏庭でリストを10匹ほど撃ったから今晩はリスのシチューだ』って言うんだよ。いやあ、食べられなかった」

ところ変われば品変わるというが、「撃つものが違うだろ」というのが正直な感想である。憲法修正第2条の武器所有の権利は熟知している。全米ライフル協会のロビー活動のしぶとさもよく知っている。だが、増え続けるだけの銃砲に歯止めをかけなくして銃関連の事件が減らないのも事実である。

アメリカ、、、嗚呼である。

2007年10月19日 (金)

エクササイズ・エリート

大統領選挙の取材でワシントンに短期間もどっていた。

時差のせいで、朝5時ごろに目がさめる。ボーッとしていてもいけないので体を動かすことにした。今回泊まったホテルは日本にも進出している「ゴールドジム」と契約していて、宿泊客は無制限で使用できる計らいがされていた。

営業時間を調べると、平日は午前5時からオープンだという。別に「ゴールドジム」の宣伝をするわけではないが、朝5時からという時間に「やってくれるものである」と感心してしまった。ちなみに、東京の表参道店を調べると午前7時からだった。

ただ、その時間帯に行ってどれほどの人がエクササイズしているか疑問だった。私は自分が汗を流すことよりも、ウィークデーのまだ夜も明けていない時間からジムにくるアメリカ人に興味をもち、出かけてみた。

午前5時40分。広大なジムに入ってすぐに口が半開きになった。60人ほどの老若男女が蠢(うごめ)いていた。勤めに行く前に汗を流す人が多いことは知っていたが、これだけの人数が集まっているとは考えなかった。

20歳前後の女性から頭部が薄くなった60代と思われる男性まで本当に老若男女で、トレッドミル(ランニングマシーン)やサイクル式マシーン、ウェイトトレーニングなどでみな黙々と汗をながしている。誰も話をせず、一人で悦にいっているような印象である。

アメリカの肥満度は近年ますます上昇しているが、その日、日の出前から汗をながしていた彼らのほとんどは引き締まった体をしており、取り付かれたように自身の体を磨きこんでいた。肥満の人たちが増え続ける一方で、確実に「エクササイズ・エリート」が増加しているのもアメリカの今の姿である。

収入の社会格差が拡大しているのと同じで、体型格差も拡大しているのだ。日本では「ビリーズ・ブートキャンプ」が話題になり、再びアメリカ型のエクササイズが話題だが、日本はまだアメリカほどの体型格差はない。

私はその日、常連の「エクササイズ・エリート」たちに圧倒されながら、少しばかり手に汗をかいたところでホテルに戻った。

2007年6月26日 (火)

アメリカ通の養成

6月16日の朝日新聞朝刊に興味深いコラム「私の視点」が載っていた。

ロバート・デュジャリックというテンプル大学日本校日本研究所長が、日米関係についての持論を展開していた。デュジャリックはワシントンのハドソン研究所というシンクタンクに何年もいた物静かな男で、在米中に何度か会ったことがある。ゴールドマンサックスで企業買収に携わったこともあり、国際関係を冷徹にみられる人物だ。

コラムは、日本が日米関係をワシントンの知日派に頼りすぎているという指摘と、本物のアメリカ通を養成すべきという、日本人の知識人からほとんど耳にしたことのない内容で秀逸だった。あまり人のコラムは褒めないが、読みながら「その通り」と言っていた。

これまで首相の安倍や駐米大使をはじめとした日本政府関係者がワシントンにおうかがいを立てるときは、アーミテージやグリーンといった知日派を窓口にすることが多かった。しかし二人はすでにブッシュ政権を去り、いまやホワイトハウスにも議会にも知日派はいない。

相変わらずアメリカ政府の顔色ばかりみている日本政府は、ホワイトハウスに直接、物を言うガッツもなければ体制もできていない。デュジャリックはそんな弱腰の日本に対し、知日派などに頼らずに本物のアメリカ通を養成し、ワシントンで機能するネットワークを築くべきだと説く。

一般的に、アメリカ通はたくさんいるように思われるが、実はそうした人間のほとんどは知日派のアメリカ人としか付き合っていないのが現実である。日本に関心などないアメリカ人と円滑に付き合える人間はごく少数であり、ワシントンで強い政治力を行使できる役人や民間人は稀である。これは25年の滞米生活の結論でもある。

ワシントンに来る外交官、学者、ジャーナリスト、そのほとんどがいまだに学ぶ姿勢でやってくる。学ぶことは悪くないが、勝負にでられないのである。そこまで行く前に、ほとんどの人は帰国の途につく。

英語力の不足がまず一つ。アメリカ文化を自分のものにできないのが二つ目。三つ目はアメリカを動かす度胸がないことである。

改正イラク特措法の成立で航空自衛隊のイラク派遣が8月以降も継続される。ほとんどシンボル的な意味合いしかない空自派遣が単に「アメリカのため」であることは明らかである。アメリカとうまくつき合うためには、笑顔で派遣を止める術を身につけなくてはいけない。もちろん派遣を中止してもアメリカとは仲良くやっていくのである。

本物のアメリカ通がほしい、、、。(敬称略)

2007年5月27日 (日)

不動産バブルの嘘

東京にもどってきて気づくのは、アメリカ嫌いの人が多くなったということである。

これはブッシュの影響が大きいのだろうと思う。ブッシュ・イコール・アメリカという図式は短絡的であると誰もが分かっていながら、アメリカ人が選んで大統領にしたのだからアメリカそのものがあまり好きではなくなったというのだ。

その人たちにとって、アメリカが外交政策で失敗したり、経済が破綻したりというニュースは胸中に一瞬、さわやかな風が吹くような感覚らしい。90年代後半から続いている「不動産バブルの崩壊」というアメリカ発のニュースについても、「ヤッタ」という声を聞いた。

人生の半分がアメリカだったわたしにしてみると、複雑である。

不動産価格の高騰がバブルという説はエコノミストの間でも分かれるが、わたしはバブルという言葉はあたっていないと考える。メディアが記事のタイトルとして打ちやすいので連発しているのが真相だろう。

確かに過去10年、多くの都市で価格の高騰がみられたが、過去半世紀、アメリカの不動産はずっと右肩あがりできており、上昇率がそれまでより高かっただけでバブルとは呼べない。上昇しずぎた地域があるのは確かだが、すでに1割から2割の価格調整(減少)があっても、日本の不動産バブルが弾けたときのように、価格が半分以下になるという現象は起きていない。

ちなみにアメリカの中古住宅や中古マンションは、築30年であってもドンドンあがる。それは平均26年で建てかえる日本と、50年以上たった家屋でも普通に住むアメリカの違いである。新築を好む日本人と中古をまったくいとわないアメリカ人の差でもあるし、建築への姿勢の違いでもある。

全米不動産協会の報告によれば、昨年3月から今年3月にかけての一戸建て平均価格は21万7000ドルで、これは前年比で0.3%減少しているに過ぎない。地域によっては下落幅がもっと大きいし、逆に上昇している大都市もあるので全米レベルでのバブル崩壊などという表現はまったく当たっていない。

こう書くと「ヤッタ」から「ガックリ」になるかもしれないが、冷静にアメリカを逆利用すればいいのだろうと思う。日米の金利差を利用したキャリートレードは少し勉強すれば個人でも十分にできる。1%にも満たない日本の金融機関に個人資産を預けておく必要はない。もちろん、不動産を買える余裕のある方は長期的投資として、いまアメリカは「買い」である。(敬称略)

2007年4月18日 (水)

銃社会を解体するために

バージニア工科大学での銃乱射事件は、あらためてアメリカの銃社会の矛盾を提示したように思う。

1993年に「ブレイディ法」といわれる銃砲規制法が施行され、銃購入者の身元確認と数週間の保留期間が設けられた。それによりほとんどの州で殺人事件の発生率が減少したが、すでに2億4000万丁といわれる銃砲が社会に出回っており、そちらの規制はない。毎年のように学校内での銃乱射事件が繰り返されている。

新しい銃砲の購入規制だけでなく、すでにある銃砲の規制・撤廃に動くことが大切である。もちろん全米ライフル協会の強力なロビイング活動は知悉している。規制法案が成立しにくい政治事情だけでなく、銃を所有することの法的な権利、さらに伝統的に銃による護身と晩餐のおかずを獲ってくるという狩猟の民としての文化も熟知している。

それでもなお、厳格な銃規制の動きを活発化させるべきだと思う。1588年に豊臣秀吉が刀狩りを行ったように、連邦政府が主導して段階的な「銃狩り」をすべきだと思っている。政府が強い規制と撤廃の方向を示さないといけない。

いくらハンティングがアメリカで人気のあるスポーツであっても、「銃をもつことがアメリカの文化だから」と言い続けていられない時代に入っていると思う。決して不可能なことではないはずである。