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2007年4月25日 (水)

終身刑と無期懲役

織原城二に無期懲役の判決が下った。

だが、ルーシー・ブラックマンさんの事件では無罪になった。東京地裁は他の連続女性暴行事件との類似性はあるが、状況証拠だけで織原を有罪にはできないとの立場をとった。

わたしは極めて妥当な判決だったと考える。

これまで、裁判所が状況証拠から推認して被告に有罪を言い渡した判例はあった。ルーシーさんも他の9事件と同じような手口で織原の毒牙にかかったと見る方が自然だろうし、遺族の感情を考慮したらルーシーさん事件も有罪でしかるべきだと多くの方は思うだろう。

だが少し待ってほしい。わたしは過去6年半、この裁判の成り行きを見守ってきたわけではなし、刑事事件を専門に追うジャーナリストでもないが、被告は法廷に提示された証拠と論拠によってのみで判断されなくては、真の意味で裁判の信憑性が失われる。

法廷で検察が確たる証拠をしめせない場合、いわゆる合理的疑いが残る。これを無視して被告を有罪にしていくと冤罪が増える。裁判は客観的な証拠と検察官の説得、弁護士の弁論の統括によって判決がだされなくてはいけない。その意味で、ルーシーさん事件での小原無罪は妥当な判決と考える。

今後、裁判員制度が導入されて、「どう考えても織原がやっているだろう」という一般的には広く受け入れられるが、法曹界ではきわめてあいまいな仮説に依拠して被告を裁いてしまうことの方が心配である。

実は、わたしは死刑廃止論者である。以前、凶悪犯は当然のように極刑に処されるべきだと思っていたが、後年、考え方が変わった。一番の理由は、いくら大罪を犯しても国家が人の命を奪ってはいけないと思うようになったからだ。

そのかわり無期懲役ではなく、日本にはまだ導入されていない終身刑の法整備をする。仮釈放も許さない。死ぬまで塀の中で過ごさせるのである。大罪を犯した凶悪犯を更生するなどという考えは捨てる。社会に出してはいけない。

だが、命には手をかけない。これが近代国家のあり方だろうと思う。(敬称略)